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活動と業績

ニュースレター Vol.8

わかるはかるニュースレター

はじめに

ニュースレターVol.5 で前川さんが紹介していた Deucravacitinib (デュークラバシチニブ, BMS-986165) が、2022年秋に米国と日本で承認されました (商品名:ソーティクツ)。Deucravacitinib は、N-メチル基が重水素化されたヤヌスキナーゼ(JAK)阻害剤で、国内で認可された初めての重水素化医薬品(重医薬品)であると同時に、研究開発の段階から医薬品にもともと重水素を組み込んで開発された初めての例です。リード最適化の手段として重水素化が成功を収めた好例といえるでしょう。2020年10月に私たちが重水素学チームをスタートしてからの2年で、重水素学の研究と産業は急速に変化してきました。2022年は新しい重水素化試薬・重水素化反応・重水素化触媒などを開発する研究を進めていく裏で、コツコツと重水素の研究を進めるための土台づくりを進めています。例えば、領域 website では重医薬品の情報について領域内で情報源を整理するとともに(重水素化医薬品情報ソースまとめ)、用語集など基礎的な知識の共有も進めてきました(事務補佐員の江藤さんに担当していただきました。有難うございます。)。また、参画している DeuNet でも User Survey を実施し、websiteのリニューアルを進めました。Review や教科書の執筆も目下の課題ではありますが、できるところから少しずつ進めている状況です。文科省からの支援は 2023年3月で終わってしまいますが、大きく世界が動き出す中、ようやく重水素学という新しいコミュニティの基盤が整ってきたところです。一緒に研究を進め、新しい果実を育てていきましょう!(京都大学・中 寛史)

第5回 Deut-Switchセミナー

2022年8 月29 日 (月) 14:00~16:00に、オンラインにて、第7回 Deut-Switchセミナーを開催いたしました(図)。京都大学SPIRITSプログラムとの共催で行い、公開セミナーとして研究班内外に周知した結果、開催日当日までに35名の参加登録があり、質疑応答では活発な議論がなされました。演者は、今後の共同研究の可能性を見据えて、谷口 透 先生(北海道大学)、神谷 真子 先生(東京工業大学)、佐藤 徹 先生(京都大学)をお迎えし、これまでの研究成果をご紹介いただきました(図1)。簡単ではありますが、本セミナーの内容につきましてニュースレターでご紹介させていただきます。

図1

1,『生体分子の構造同定を目指した2400-1900 cm-1領域における振動キラル分光分析』 谷口 透 先生

谷口 透先生は、2007年北海道大学大学院理学研究科博士課程を修了された後、米国コロンビア大学博士研究員、米国ハーバード大学博士研究員を経て、現在は北海道大学先端生命科学研究院に所属されています。本セミナーでは、2400-1900 cm-1領域の着目した振動キラル分光分析による生体分子の構造決定についてご発表いただきました。

VCD(赤外円二色性)分光法は分子の振動に基づくシグナルを測定するキラル分光法であり、光学活性な有機化合物全てにおいてシグナルを検出できる点で、従来の紫外可視領域でのCDと比較して応用範囲が広い分光法です。特記すべき点は、理論計算の信頼性が高く、実測スペクトルと比較により、立体配置と立体配座を溶液状態で決定できる点です(Taniguchi, T. BCSJ 2017)。一方で、ペプチド等の大きな分子ではシグナルの重複が激しくなることが課題です。谷口先生は、大きな分子での立体配座を決めるにあたり、2400-1900 cm-1領域に吸収を示す官能基の導入による新たな構造決定法の開発を試みています。今回は、その一つの方法として、図2に示すように、糖の1位を重水素メトキシ基(-OCD3)で置換した例をお示しいただきました。重水素を有する本官能基を入れることで、糖の1位がS体の場合は、残りの構造に関わらず対称伸縮振動が上向き、非対称伸縮振動が下向きとなり、糖の1位がR体の場合、残りの構造に関わらず対称伸縮振動が下向き、非対称伸縮振動が上向きとなることがわかりました。つまり重水素化メチル基を導入することで近傍の立体配置を反映したシグナルを抽出して観測できるということです。1位だけでなく、その他の部位に重水素化メチル基を置換することで、その部位の立体配置を決めることが可能です。また、図3に示すように複雑な2糖の場合や5員環の糖、ベンゾイル基や長鎖アシル基を持つ糖でもこの手法で立体配置が決定できました。今後、さらに重水素を用いたVCDにより生体分子の構造同定に関する知見が蓄積されることが期待されます。

図2
図3

2,『化学プローブの精密設計に基づく生体分子イメージング』 神谷 真子 先生

神谷 真子 先生は、2008年東京大学大学院薬学研究科博士課程を修了された後、スイス連邦工科大学ローザンヌ校博士研究員、及び東京大学大学院医学研究科の浦野泰照教授のもとで助教・講師・准教授を勤められた後、現在は東京工業大学生命理工学院教授としてご活躍されています。本セミナーでは、これまで従事されてきた光機能性分子の開発研究に関してご発表いただきました。

蛍光プローブとは、観測対象分子と特異的に反応・結合し、その前後で蛍光特性が変化する機能性分子であり、通常では観測が困難な分子をリアルタイムに観測できることが特徴です。蛍光プローブを用いる蛍光イメージング法は感度の高さ、簡便さ、時空間分解能の高さに優れているものの、蛍光色素の吸収スペクトル、及び蛍光スペクトルがブロードのため、一度に観測できる分子数が多くても5-6種に限定されます。一方、ラマンイメージングに用いるラマンプローブは多種検出能に優れており、見たい標的分子にアルキンタグ等を導入することにより、生体分子由来の強いラマン散乱が生じないサイレント領域(1800-2800cm-1の)でラマン信号を検出することが可能です。神谷先生らは、共鳴ラマン効果を活用することで、生体内の酵素と反応して、ラマン信号をoffからonに切り替える活性型のラマンプローブに開発に取り組みました。具体的には9CN-JCPを母核にGGT(γ-glutamyl transpeptidase)の基質部分を組み込んだラマンプローブを作成し、本プローブがGGTで代謝されると、共鳴ラマン信号が認められるプローブを合成し、生細胞でGGTの活性の違いをSRS顕微鏡で確認することに成功しました(図4)。ラマンイメージイングでは、同位体置換のプローブを用いることで、異なるラマンシフト値をもつ誘導体を簡単に作製することが利点であり、多重検出能に優れています(図5)。現在は、細胞内滞留性を高めるため、酵素反応後のプローブが凝集性を獲得することで、酵素発現部位に留まるプローブを作製に成功しています。

図4
図5

3,『振電相互作用制御による分子設計』 佐藤 徹 先生

佐藤 徹 先生は、1997年に京都大学大学院工学研究科を修了された後、財団法人基礎化学研究所研究員、京都大学大学院工学研究科助手、ベルギールーヴァン・カトリック大学研究員を経て、京都大学福井謙一記念センターで助教・講師・准教授を勤められた後、現在は同センター 教授としてご活躍されています。また、(株)MOLFEXを創業し、基礎研究のみならず応用研究に注力されております。本セミナーでは、振電相互作用を制御する概念として振電相互作用密度(vibronic coupling density, VCD)をキーワードにお話しいただきました。

振電相互作用の密度表現であるVCDを用いることで、1)振電相互作用を電子状態と振動状態の関係として理解し、2)キャリア輸送材料や発光材料の分子設計に適用したり、3)発光分子の蛍光量子収率の向上のみならず、4)非発光性の分子を発光性にしたり、5)反応がどこで起こるか(領域選択性)を示す化学反応性指標として応用したり、6)ポテンシャル曲面(勾配、曲率)を制御すること、等が可能です(図6)。まず蛍光量子収率を制御した例として、アントラセンの9位、10位に塩素を導入すると蛍光量子収率が大きくなるという実験結果をVCDにより解析し、新たな分子設計に応用した事例(Chem. Phys. Lett. 80, 602, 2014)をお話ししていただきました(図7)。非発光性の分子に非発光性の置換基を導入して発光性の分子設計することも可能です(Chem. Phys. Lett. 615, 44, 2014、Chem. Phys. Lett. 633, 190, 2015)。さらに、VCD解析により、高次三重項状態からの逆系間交差を利用した新規EL機構の提案(Sci. Rep.7, 4820, 2017)、キャリア輸送材料の解析と設計(Chem. Phys. Lett. 458, 152, 2008、Appl. Phys. Lett. 97, 14211, 2010)、化学反応性指標への応用(Chem. Phys. Lett. 531, 257, 2012、ibid. 715, 239, 2019)についてご紹介いただきました。

図6
図7

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